私自身、独立前は一会社員として働いていました。職場は比較的風通しの良い環境でしたが、それでも一定数の「老害」とは徹底的に向き合い、時に対立する場面も多々ありました(笑)。

特に当時、私は「デジタル関連の推進」を担当しており、周囲からは異端児扱いを受けていました。以下のような声を耳にしたことを、今でも鮮明に覚えています。

  • 「PCなんかで仕事ができるの?」
  • 「仕事の連絡をメールで?ありえない」
  • 「無線LANは計測器に影響を与えるから絶対NG」
  • 「携帯電話は禁止だけど、PHSならOK」
  • 「報告書には最低でも押印が3つ必要(校閲、審査、承認)」
  • 「電子で書類を作成しても、結局紙で保管」

こうした環境の中で、私は楽しみながらも奮闘してきました。当時としては、ある程度の企業規模だったこともあり、中小企業に比べればIT化投資は進んでいた方でした。それでも、PCやインターネットが一般に普及し始めた1995年頃(Windows95発売)から約30年経った今、似たような議論に直面している自分に驚くこともあります。

デジタル推進の壁「老害」とは何か?

ここで、「老害」という言葉を改めて定義してみましょう。ChatGPTによる定義は以下の通りです:

「老害」という言葉は、主に若い世代や新しい価値観を持つ人々から、経験や年齢に基づく保守的な考え方や意見を持つ高齢者に対して使われる揶揄や批判の言葉です。「老害」は侮蔑的な言葉であり、相手を単純に年齢だけで判断することや、全ての高齢者を一括りにして批判することは適切ではありません。

私たちが「老害」と感じる相手と戦っていた30年前、その若手世代であった私たちは今や50~60代。かつての「老害」世代は、現在では80~90代のご意見番的な立場にいます。つまり、私たち自身が「老害」と見なされる世代になりつつあるのです。同じ轍を踏んでいる可能性も否定できません。

世代間ギャップを埋める必要はあるのか?

ここで課題として浮かぶのは、世代間ギャップをどう扱うべきかという問題です。

  • ギャップを埋める努力をするべきか?
  • それとも、埋めることは困難と割り切り、「差別」ではなく「区別」として対応するべきか?

多様性が求められる現代社会では分断は避けるべきでしょう。しかし、デジタル化に関しては「差別」ではなく「区別」が重要だと私は考えます。

無駄な議論を避け、推進を優先する

よく保守的な方々は「説明が足りない」「議論が不足している」と主張します。しかし、そもそもの価値観が異なる相手と議論を尽くしても、歴史的に相容れないことが多いのが現実です。便利なものは自然に浸透し、反対派もいつの間にか受け入れて使い始める。これがデジタル化が進展してきた道筋です。

無駄な議論に終始せず、「推進派にはインセンティブを与える」形で推進を進めるべきです。一方で、「アナログ派」の方々には特区のような仕組みを用意し、彼らのやり方で補い合っていただくのが現実的でしょう。

自身への警鐘

私もまた、いずれデジタルの遅れた土地に移り住み、同じようなことを言う立場になるかもしれません。その時に備え、自覚を持って行動し、今できるデジタル推進を精一杯進めていきたいと考えています。

まとめ:デジタル化の議論に必要なのは柔軟な「区別」
デジタル推進の鍵は、対立を避けながらも効率的に前進することです。世代間の意識差を認めつつ、必要な部分を区別して進むことで、全体としての成長を目指しましょう。