外国旅行が大好きな私としては、よその国から見た日本は「道徳がしっかりしていて秩序が守られていて良い国」これは何の疑いも無く感じる次第です。

欧米の観光都市、アジアの観光地それぞれ巡っていてもやっぱり日本の良さは際立っている感じです。

しかし、国内だけに目を向けると少し窮屈な部分も多く感じる部分もあります。

それが表題の
「生真面目な人ほど社会や会社をギクシャクさせる事実」に当たります。

島国ゆえなのか、狭い世界観の中での正義がまかり通る傾向があります。コロナ禍で言えば「マスク警察」「ワクチン論争」生真面目な方こそが「自分が正義」であり「間違いは正すべき」的な思考に強力なスイッチが入ってしまう。

この辺は国内事情ですが、会社内に目を向けると企業規模の大小に関わらず、多様な性格の人が集う場所では同様の「生真面目な方の正義」がまかり通る事が多いです。

ここでは少し「生真面目=柔軟性に欠ける」に置き換えるとわかりやすいかもです。ルールや価値観に固執するがゆえに時代の変化や協調性に欠ける部分です。これが良い悪いの判断軸では無く「自身の正義」が基準なので少し厄介です。

生真面目な方が忙しくお仕事をする中で隣の席で暇そうにしている方を見ると「イライラが募る」ようで「私は忙しいのにAさんは暇そうにしている、これは仕事配分がおかしいからだ」
「私の部署は忙しいのにB部署はいつも暇そうで定時帰り、不公平だ」

この際に注意しなくていけないのは一方的な見方が偏ると「暇そうにしているのは業務量が少ないからだ」主軸で「合理的に仕事を進めるから仕事が早い」とは絶対に思わない部分です。

多少の色眼鏡になりますが、そのような考え方の人はどこの職場に行っても、転職したとしても………ズーッと「忙しく、気忙しく、イライラして」周りの雰囲気を壊している事に気づかないかもしれません。だって本人にとっては「それが正義で正解だから」です。

経験的には、複数人が集まる職場やコミュニティでは確実に一定数の「生真面目」な方がいます。もう一つの側面で「生真面目=繊細な方」もいるので大変です。口に出して「正義を強要する」方もいれば「正義を口出して言えずにイライラストレスを抱えている」このようなパターンも見かけます。

どちらにしても「生真面目さを基準にイライラ、ストレス」になっている事には違いありません。このストレスのはけ口がネット上の誹謗中傷などの炎上にあたるのかもです。

このような道徳心からの正義感は本当に日本人独特の文化なのか?他の国ではどうなのか?すごく気になる所ではあります。

この道徳心は決して忘れてはいけない文化ではあると思いながらも柔軟性を併せこむ事で息苦しさも緩和されるのではと思う次第です。

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