
政治絡みのネット番組を見ている中で、ある候補者の発言に思わず「なるほど…これは日本らしい話だな」
と感じた場面がありました。それは、次のようなやり取りです。
「紙は権威がある。タブレットは権威がない。」
この発言の背景として、国会内ではいまだにタブレットの使用が制限されているという話が紹介されました。
理由はまさに「紙には権威があるから」というもの。
しかし、紙資料をタブレットに置き換えれば、配布の手間も削減でき、必要な情報を即座に検索できる。
世界の常識から見れば、デジタル化を拒む理由はどこにも見当たりません。
にもかかわらず、日本の国会ではいまだ“紙文化”が根強く残っているのが現実のようです。
■「ルール」か「慣習」か、それとも“誰かの声”か
こうした決まり事が正式なルールとして存在するのか、それとも一部の有力者の声による“慣習”なのか
は分かりません。
以前も、国会ではリモート会議が認められておらず、ウクライナのゼレンスキー大統領が国会で
オンライン演説を行った際も「特例中の特例」とされたことがありました。
この「特例」があってもなお制度が変わらないというのは、なかなか興味深い話です。
つまり、国会という“巨大な組織”の中では、誰が、どの権限で、どこまで変えられるのかが非常に見えにくい。
形式と慣習に縛られた“組織の構造そのもの”が、デジタル化を阻む壁になっているのです。
■「権威」の定義が曖昧なまま進まない改革
「権威がある」「権威がない」。
この曖昧な言葉が、DX(デジタルトランスフォーメーション)を阻む最大の要因になっている気がします。
たとえば、元デジタル大臣が国会答弁中にスマートフォンで調べ物をして注意を受けたことがありました。
“調べて確認する”という行為は、本来なら効率的で合理的なはずですが
旧来の価値観では「権威を欠く行為」とされる。
これこそが日本社会における“デジタル後進性”を象徴しているように思えます。
■JTC(日本的伝統企業)にも通じる話
こうした話は、国会に限らず、多くの日本企業
いわゆる「JTC(Japanese Traditional Company)」でも同じ構図です。
TCとは、昭和的な企業文化が色濃く残り、上意下達・現状維持を優先する体質を揶揄するネット用語です。
DXを進めようとしても、「紙の方が安心」「前例がない」といった言葉で改革が止まってしまう。
その背景には、まさに“権威主義的な発想”があるのではないでしょうか。
DXを進めるためには、「まずは隗より始めよ」。
組織の上に立つ者こそが、率先して旧来の慣習や“権威の幻想”を見直すことが求められています。
■まとめ:権威を守るのか、未来を選ぶのか
「紙に権威があり、タブレットにはない」この言葉は単なる冗談ではなく
私たちの社会に深く根を張る意識の象徴です。
しかし、変化を恐れて権威を守り続ける限り、日本のDXは一歩も前に進めません。
デジタル化とは、単にツールを変えることではなく
「何を本当に大切にすべきか」を問い直すプロセスでもあります。
これからの時代に求められる“権威”とは、紙でもタブレットでもなく
「合理性と透明性に基づく信頼」なのかもしれません。
数年後の変化に期待しましょう。