
■ 結論まで持って行くのが親切だと思っていた
知人との会話の中で、少し考えさせられる出来事がありました。
今回はそれを言語化してみたいと思います。
私自身は、わりとおせっかいな性格です。
誰かから相談を受けたり、困りごとを聞いたりすると
「何とか最善策を提示したい」と考えつい奔走してしまいます。
問題があるなら、対応策まで持って行くことが相手にとって一番の親切。
そんな思考が、私の中では半ば当たり前になっていました。
■ 仕事では評価されるが、私生活ではそうでもない
仕事の場面では、こうした姿勢がプラスに働くことも少なくありません。
一方で、プライベートでは必ずしもそうではない。
「結論はいらないから、ただ話を聞いてほしい」
そんなケースがあることも、頭では理解しているつもりです。
■ 「すぐ結論に持って行きたがるよね」と言われて
そんな中、ある先輩との会話で、こんな一言を言われました。
「〇〇(私)は、すぐ話を結論に持って行きたがるよね」
正直なところ、少し引っかかりました。
「話を結論に持って行くことの、何がいけないのだろう?」と。
■ 会話のキャッチボールを止めていたのかもしれない
冷静に振り返ってみると、
「つまりこういうことだよね」
「それって、こういう意味じゃない?」
といった具合に、会話の途中で要約し、終止符を打つような話し方をしていたのかもしれません。
相手からすると、キャッチボールを楽しむ前に、話を“まとめられてしまう”。
それが、どこか釈然としない印象を与えていたようです。
■ 要点を掴みたがる性格は悪なのか?
確かに私は、あまり意味のない雑談的なキャッチボールを好むタイプではありません。
会話の一部を捉え、「全体像は理解した」と感じると、つい割り込んで
「要するに、こういうことだよね」と言ってしまうことがあります。
これは良くないのか。
ただ頷き、聞き役に徹したほうが得なのか。
結局のところ、これは性格の問題でもあり、相手との相性にも左右される話なのだと思います。
■ ただし否定から入る人との会話は前に進まない
一方で、これとは逆のタイプの人もいます。
他人の話に対して、常に否定から入る人です。
本人としては「意見を言ってあげている」つもりなのかもしれませんが、
「反論は分かった。では、あなた自身の前向きな意見は?」と尋ねると、
明確な代案が出てこないことも少なくありません。
結果として、ただの不満や文句の応酬になり、
建設的な議論に発展しないケースも多いと感じます。
■ 建設的な対話に必要なのは「自分の意見」
だからこそ私は、できる限り建設的な会話を心がけたいと思っています。
自分の意見を出すこと、考えを示すこと。
それが議論を前に進める最低限の責任だと考えているからです。
単に反論するだけなら、正直なところ楽です。
しかし、
「反論するなら代案を」
この姿勢があってこそ、対話は意味を持つのではないでしょうか。
皆さんはどの様に感じますか?

