「コミュニケーション」これはいつの時代も課題に上がる内容です。
特に企業向けの社員研修を行わせていただき「課題はありますか?」の問いかけの絶対上位に「社内のコミュニケーション」課題があります。

これはどんなに時代が変わってもデジタル化が進んでも人が存在する間は「永遠の課題」なのかも知れません。何度かブログでも書いていますが

改めて「コミュニケーション」について考えてみます

先ずは個人的主観で恐縮ですが
「情報は取りに行くもの」「取った情報は平らに流すこと」
しか、解決策は無いと思っています。

なのでこの情報化社会の中で「報連相」と声高に叫ぶ人は「情報を取りに行けない情報弱者」と感じてしまいます。

仮にです
「ちょっと相談があるのでが」
「今、忙しいので後にして」

「こんなミスをしてしまいました」
「ダメだな、どうしてくれるのだ」

こんな上司と担当のやり取りターンが数回繰り返されたとします。どちらに責任がある無しの2極論では無く、この様な関係性の職場で「報連相が大切と言われても………」
報告が遅れて怒られるのが関の山、出来るだけ静かにしておこうこんな感じで情報の意思疎通がなくなり澱んでいき

それに困った上司が「報連相が大事」と声高に叫ぶが虚しく終わり「うちの会社は報告がなって無い、最近の若者は云々」

情報なんてものは、欲しい人が察して情報を取りに行くのが本来でそれでも不足する時は、情報が上がって来る関係性を構築。これ以外に方法は無いと感じています。

そこを勘違いして
「グループウエアや電子化で社内コミュニケーションを解決」と言うものだから余計な仕事が増えて失敗システムに終わるこんな堂々巡りを何周も繰り返しています。

定例会議などもその典型です

情報収集弱者の上司が部下の時間泥棒しているだけの形骸化した無駄な行為と思ってしまいます。

情報を必要とする人が普段から情報を取りに行き必要とする人に共有すると言う単純な事を諦めているだけです。それが大きな組織企業になればなるほど大きくなり本当に必要?と思われる無駄な定例報告会がコスト度外視で増えています。

中には有意義な情報収集の場の定例情報交換の場合もあるので一概にいえませんが。この情報交換は私も大歓迎です。

セミナー時にお話させていただく際に、この「コミュニケーション」課題についてはチームスポーツ時の「声出し」と同等と話しています。

「コミュニケーション」と一言で括りますがこの言葉の奥底はかなり深い内容を秘めていて、単純では無く技術スキルが必要な内容です。
長くなるので続きます。

「コミュニケーションのスキルを学ぶ」について考えます。

-PR-