
「オールドメディア vs ネット」という対立構図が盛んに語られております。
しかし、改めて考えると、そこにはどこか“作られた物語”のような違和感を覚えます。
今回はその構図の裏側と、本質的な変化について整理してみます。
■「オールドメディア vs ネット」誰が作り出した対立なのか?
この構図はいったい誰が仕立てたものなのでしょうか。
おそらく、テレビや新聞などのオールドメディア側が、自らの影響力低下への危機感から
「わかりやすい敵」を設定したのではないかと考えます。
背景には、SNSや動画配信の普及によって急速に進んだ“テレビ離れ”への焦りがあるように思えます。
■なぜテレビ離れは進んだのか?
私自身も、かつては典型的な“テレビっ子”でした。
しかし、今ではすっかりネット中心の生活に変わり、テレビをつける機会もほとんどなくなりました。
「テレビがつまらなくなった」とよく言われますが、ではその原因は何だったのでしょうか。
結論から言えば、テレビが本来持っていた“自由”を自ら手放したことにあると思います。
■テレビが「自由」を失った経緯
昔のテレビ番組、特にバラエティや格闘技番組には、今では考えられないほどの自由と勢いがありました。
多少のクレームはあっても、それを恐れずに制作していた時代です。
しかしSNSが普及し、批判や炎上が瞬時に拡散するようになると
スポンサーやコンプライアンスが強く影響し、番組はどんどん「安全第一」へ。
結果として“自由な表現の場”はテレビからネットへと移っていきました。
これは、ある意味で必然の流れだったのかもしれません。
■「スキャンダル頼み」が招いた信頼の失墜
視聴率を追うあまり、テレビがスキャンダル報道に頼るようになったのも転機でした。
一時的な注目は得られても、長期的には「報道への信頼」を失う結果に。
政治や芸能に対して“言えないことが多いメディア”という印象が定着し、視聴者の離反を加速させました。
■ネットと既存メディア、本質的な違いは「主体性」
ネットとテレビの本質的な違いを整理すると、以下のように表せます。
| 視聴スタイル | 情報の流れ | 主体性 |
|---|---|---|
| テレビ:編成に沿って視聴 | 一方通行 | 受け身 |
| ネット:オンデマンド視聴 | 双方向・多様 | 主体的 |
Netflixなどの配信サービスが象徴するように、情報の主導権が視聴者に移ったことが最大の変化です。
さらに、ネットでは誰もが情報発信者になれるため、メディアの多様性はかつてないほど広がっています。
■「ネットは嘘が多い」という主張への違和感
オールドメディア側はよく「ネットは嘘が多い」と批判します。
しかし、テレビもまた“忖度”や“タブー”に縛られており、完全な真実を語れない現実があります。
もちろんネットにも誤情報や煽動的な発信はありますが、アーカイブや議論を通じて
修正・検証されることも多く、民主的な健全性を持つ面も無視できません。
■オールドメディアに未来はあるのか?
現状は厳しいものの、すぐに消滅するわけではありません。
紙メディアやテレビに一定の支持層が残っているのも事実です。
しかし、スポンサー依存型の収益モデルでは限界が見え始めています。
これからの方向性としては、以下のようなモデルが鍵となるでしょう。
- ファンや読者によるダイレクト課金(サブスク・クラウドファンディング)
- 自由競争型プラットフォームへの移行
- 独立系ジャーナリズムの再評価
■これからの情報発信は「ご近所メディア」型へ
未来を見据えると、個人や地域単位での“小さな発信”が力を持つ時代になると感じます。
いわば「ご近所チャンネル」的なメディアが広がり、地域と個人がつながる情報社会へ。
さらに、Web3やAIの進化により、次世代のプラットフォーマーが登場する可能性も十分あります。
情報の発信も受信も、もっと自由でフェアな世界に向かう、そんな希望を感じています。
■まとめ:変化を恐れず、情報の未来を楽しもう
オールドメディアとネットの対立は、もはや“時代の問題”ではなく“文化の変化”です。
誰が正しいかではなく、誰がより自由に・誠実に情報を伝えられるか。
それこそが、DX時代の「真のメディア力」ではないでしょうか。
変化を恐れず、次の情報社会を楽しんでいきましょう。

